プレイバックシアターは、観客や参加者が自分の体験したできごとを語り、それをその場ですぐに即興劇として演じる(プレイバックする)独創的な即興演劇。芸術的な側面を持つ一方で、その場で演じるもの(アクター)、語るもの(テラー)、観るもの(観客)が、共感や知恵、勇気や癒しをもたらされることになる。そのため、劇場の舞台はもちろん、ワークショップや教育の場、臨床や治療現場など広く活用されている。
プレイバックシアターは、1975年にニューヨーク郊外のミッドハドソンバレーという町でジョナサン・フォックスとジョー・サラ、その仲間である劇団オリジナルプレイバックシアターカンパニーによって創られた。ジョナサン・フォックスは「古代の口承文化」と「即興性のある演劇」を結びつけるという彼のビジョンをこの劇団で実践しようとした。またこの時期ザーカ・モレノが運営するモレノ研究所で、彼が学んでいたサイコドラマの手法も下地になっていると思われる。
彼らは、「人はだれでも語りたい、感じている、考えている」という信念のもと、意識的に様々な観客の前で演じた。子どもや高齢者、あらゆる年齢層の町の人々、囚人、精神障害者。その活動を通じ、プレイバックシアターとしての基礎の形を作り上げていった。すなわち、「ストーリー」に加えて、「動く彫刻」や「ペアズ」のような手法が生まれ、音楽の果たす役割もより明確になっていった。
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1973年6月 コネチカット州ニューロンドン市でカンパニー”It's All Grace"をジョー・サラほかと結成。野外での自作演劇や小さな代替小学校で子どもたちのための演劇を支援。
1973年11月 モレノ研究所で自発性と創造性、グループの養成、個人の存在そのものへの畏敬、ドラマでの感情のもつ力の大切さを学ぶ。
1973年〜1974年 コネチカット大学演劇学教室で演出担当。アメリカダンス祭での実験演劇、ニューヨーク市民センターで、マジョリー・シグレーと協力し、若者たちの演劇を支援。
1974年 観客の個人的な現実に基づいた話を即興劇にするというアイデアを着想。"It`s All Grace"でこの新しい考えに基づいた即興劇に実験的に取り組む。さらに、1年モレノ研究所で学ぶ。
1975年9月 モレノ研究所のスタッフになり、専門誌や書籍を編修。家族でニューヨーク州ニューポールツに転居。
1975年11月 新しいカンパニーの活動開始。
1975年12月 新しいカンパニーに「プレイバックシアター」と命名。当初は家族と友人のために公演。
1976年1月 学術大会、総合病院小児病棟で、また、市の公園でのお祭りや協会の教区ホール等で公演。
1979年 メルボルンの大学教授がオーストラリアに彼と劇団員を招待。その後、オークランドとウエリントン(ニュージーランド)、メルボルンとシドニー(オーストラリア)でプレイバックシアターのカンパニーが誕生。
1980年 イタリアに招待され、プレイバックシアターを指導。その後毎夏研修会開催。
1989年 IPTN(国際プレイバックシアターネットワーク)立ち上げ。
1990年 ジョー・サラがハドソンリバー・プレイバックシアターを設立。
1991年 IPTN世界大会、オーストラリアで開催。その後、フィンランド、アメリカ、イギリス、日本などで開催。
1993年 スクール・オブ・プレイバックシアターをニューヨーク州に設立。
1998年 スクール・オブ・プレイバックシアター日本校設立。
1999年 ニューヨークのスクールはコミュニティ育成と奨学制度の充実のための事業を開始。
プレイバックシアターは50ヶ国以上で、企業、学校教育、地域社会など広い分野で個性化教育やいじめ防止、対話の促進、問題地区での和解や相互支援などを目的に活動中。
(2006年、国際サイコドラマ学会の招待特別講演で、ジョナサン・フォックスが紹介した